FRESTA Bimi Smile presents 食卓ON楽

食卓音楽


« VOL.38「ピュア・ルテイン」メインVOL.39「安芸の一膳無添加みそ」「安芸の一膳即席みそ汁」 »

2008年6月20日
「初恋/村下孝蔵」

第38回目の今日お届けしたのは、「村下孝蔵/初恋」でした。

1953年2月、熊本県水俣市で映画館を営む家庭に生まれた少年・村下孝蔵。村下孝蔵は、実家の映画館で上映される、映画『若大将シリーズ』の主演・加山雄三がギターを演奏する姿に魅了され、自らもギターを弾くことに夢中になります。そして、地元・熊本の高校を卒業した村下孝蔵は、家族と共に、当時、吉田拓郎(よしだ・たくろう)らを生み、音楽を愛する若者の多くが憧れた街・広島にやって来ます。

憧れの地、広島にやってきた村下孝蔵はデザイン系の専門学校を卒業後、ピアノの調律師や、ホテルのラウンジで歌うアルバイトをしながら、地道な音楽活動をスタートさせます。1972年には、わずか300枚余りですが、初めての自主制作シングル「ひとりぼっちの雨の中」をリリース。1978年には、当時の広島在住のフォーク系のミュージシャンたちが結集して立ち上げた第2期フォーク村にも参加します。そして、1979年、自主制作としては初のLPレコード『それぞれの風』をリリースしたこの年、村下孝蔵は、当時のCBSソニーレコードが行った「第1回SDオーディション」に応募。見事、地方予選を勝ち抜き本選大会に出場、ハウンド・ドッグ、堀江淳、五十嵐浩晃らとともに合格、念願のプロ歌手としての扉を開くのでした。
「第1回SDオーディションの時、CBSソニーレコードとしては、当時流行っていた山下達郎)や南佳孝などのシティポップス系のアーティストを探していたんです。でも村下孝蔵は、その当時26歳で、それなりに年齢も重ねていたし、やっている音楽が、どちらかと言うとフォーク系だったので、SDオーディションに合格した時は、正直どうなるのかな?大丈夫かな?というのが印象にありました」。1979年の第1回SDオーディションから3年後に、村下孝蔵の担当マネージャーとなる、島田さんは、当時をこう振り返ります。

1980年5月、村下孝蔵は、自身がかつてリリースした自主制作LPに収めていた曲「月あかり」でデビューしますが、チャートにランクインすることは、ありませんでした。「村下孝蔵の場合、プロの歌手になったからと言って、デビュー直後に劇的な変化があった訳ではないんです。デビュー後も、基本的には広島を拠点に活動して、打合せや、レコーディングの度に上京していたんです。全国各地でのイベントの時には、スタッフとは、現地集合もありましたね」。結局、デビューした1980年、村下孝蔵がリリースしたのは、シングル1枚、アルバム1枚という結果に終わるのでした。
1981年1月、デビュー曲からおよそ8ヵ月後に、村下孝蔵は2枚目のシングル「春雨」をリリースします。「デビューシングル「月あかり」をリリースして間もない頃は、SDオーディションで一緒に合格した、ハウンド・ドックや五十嵐浩晃らと一緒にキャンペーンをやっていたんですが、2枚目のシングル「春雨」からは、村下孝蔵だけは少しプロモーションのスタイルを変えてました。彼の曲は、いきなりドッーン、と売れる、というスタイルではなく、演歌のようにジワジワと浸透させ、売っていこうと。だから、まずは大々的に露出をするプロモーションではなく、演歌歌手のように町のレコード店を回ったり、有線放送局を回ったり、そんな地道なキャンペーンがいいんじゃないか、ってなってました」。当時のスタッフ、島田さんはこう振り返ります。村下孝蔵が、産まれ育った熊本時代の想い出や、その後、生活をしていた広島での情景を綴った曲の数々。プロデューサーの須藤晃と一緒に、毎回、曲のテーマを決め、そのテーマに沿って、聞く人の心に深く沁み込んでいくように綴られた歌詞、そしてメロディ。須藤晃との二人三脚で生まれた曲を、さらに、地道なプロモーションを重ねて、多くの人々に聞かせることで、村下孝蔵は徐々に支持を集めていきます。1981年1月にリリースされた、2枚目のシングル「春雨」は、チャート最高位58位を記録、およそ3ヵ月半に渡ってチャートにランクインし続けるのでした。
「82年に4枚目のシングルがリリースされるタイミングかな…。僕が担当マネージャーになったのは。1979年の第1回SDオーディションにも僕は関わっていたので、村下孝蔵を3年ぶりに直接観たんですが、オーディションの時から比べたら、良くなったなぁ、という印象を受けましたね。改めて彼の曲を聴き直してみても、オーディションの時には感じなかった、村下孝蔵ならでは、実直な性格が曲ににじみ出ている。そう感じました」。

島田さんが担当マネージャーになった直後の、1982年4月にリリースされた、4枚目のシングル「ゆうこ」。村下孝蔵は、それまでと同様に、広島に拠点を置きながら、全国の有線放送局回りや、レコード店回りなど、演歌歌手のような地道なプロモーション活動を続けていきます。そしてその甲斐あって、有線放送を中心にヒットの火がついたシングル「ゆうこ」は、チャート最高位23位を記録、およそ7ヵ月半に渡ってチャートにランクイン。その年10月には、フジテレビ系の音楽番組「夜のヒットスタジオ」にも初出演します。地道で粘り強いプロモーション活動が、実を膨らませていくのでした。
そして村下孝蔵と、プロデューサーの須藤晃は、続くシングルのテーマに、新しい方向性で挑みます。
「デビューから「ゆうこ」までは、どちらかと言えば大人の恋愛模様を描いた曲が多かったから、今度は若い人の恋愛模様も描いてみようよ」。プロデューサーの須藤さんから、次の曲のテーマを告げらた村下孝蔵は、自身が中学2年生の頃。水泳部だった自分が、好意を寄せていたテニス部の女の子に、気にかけ振り向いてもらうために、水泳部の練習でグランドを走る時、わざとサッカーボールを蹴ってテニスコートに入れ、ボールを彼女にとってもらっていた実体験を、歌詞に綴っていきます。
「村下孝蔵の、性格そのものを映し出していますよね、この曲は。ピュアで真面目な村下孝蔵の性格が本当によくにじみ出て、初めて聞いた時に、僕らスタッフの反応も良かった。 リリース前に、コンサートで演奏してもお客さんの反応も良かった。これはヒットするな…って思いました」。村下孝蔵とって5枚目となるシングル「初恋」は、1983年2月、リリースされます

2月に、5枚目のシングルとしたリリースされたこの「初恋」。リリース直後の春先に、全国およそ30ヵ所近くでのプロモーションが予定されますが、村下孝蔵本人が体調を崩しプロモーションは全てキャンセル。しかし、有線放送を中心にリクエストを集めた「初恋」は、夏前からTBS系の音楽チャート番組「ザ・ベストテン」のTOP10に初めて入ると同時に、セールスチャートも最高位3位を記録、およそ7ヵ月半に渡ってチャートにランクインし続けます。誰もが、心の中に淡い思い出として残している情景を、素直な言葉で綴った名曲の誕生の瞬間でした。

今日OAした曲目
M1.松山行フェリー/村下孝蔵
M2.春雨/村下孝蔵
M3.ゆうこ/村下孝蔵
M4.初恋/村下孝蔵