
147回目の今日お届けしたのは、「BEAT CRUSADERS/DAY AFTER DAY」でした。
「元々僕は、インディーズのレコード会社で、制作ディレクター兼営業宣伝担当、いわゆる何でも屋のような仕事をしていたんです。それが、仕事で培った知識やノウハウを、学生時代から始めたバンド活動へ取り入れるようになって、いつの間にかバンド活動がメインになっていったんです。こうして、1997年に、高校時代の同級生・イワハラユキオと二人でBEAT CRUSADERSを結成しました」。
ギター兼ボーカルのヒダカトオルさんは、バンド結成の経緯について、こう振り返ります。
アメリカのロックバンド「ザ・モンキーズ」の大ファンでありながら、ザ・ストーン・ローゼス、オアシスといったブリティッシュ・ロック音楽にも傾倒していたヒダカトオルは、1997年高校時代の同級生でドラマ―のイワハラユキオとユニット「BEAT CRUSADERS」を結成します。
「BEAT CRUSADERS」は、"アメリカやイギリスのインディーズ音楽の世界にいる、POPなギターサウンドのバンド"というコンセプトの下、当初はギターとドラムだけのユニットとしての活動を始めますが、その後、イワハラが脱退。ヒダカは音楽活動を通じて知り合った、ウム、タイ、アラキの3人が加えて、4人のバンド編成でBEAT CRUSADERSとしての活動を続けていきます。
1999年6月、BEAT CRUSADERSは、インディーズレーベルからシングル「NEVER POP ENOUGH E.P.」を、翌7月には1stアルバム『HOWLING SYMPHONY OF...』を発売します。60'~'90年代までの、ロックのエッセンスを取り入れたBEAT CRUSADERSのサウンドは、洋楽リスナーを中心に多くの人々から支持を集めていきます。さらに彼らは、スタジオワークと並行して、ライブ活動も精力的に行い、インディーズバンドでありながら2001年6月には、アメリカ西海岸を、翌2002年4月にはオーストラリアを回るライブツアーも行って、海外のロックファンからも注目を浴びるバンドに成長していきます。
2003年8月、ベストアルバム『BEAT CRUSADERS』を発売した後、音楽の方向性の違いから、ヒダカ以外の3人のメンバーがバンドを脱退、バンド解散の危機が訪れます。しかし、ヒダカは、音楽仲間のクボタマサヒコ、カトウタロウ、マシータ、ケイタイモの4人を加えて5人編成の新生BEAT CRUSADERSとしての活動をあらたにスタート。
そして、翌2004年春に、メジャーレーベルのDefSTAR RECORDSと契約を結ぶのでした。
「メンバーチェンジの後、僕の動向を心配してくれていたレコード会社の人達が、声をかけてくれたんです。僕は、インディーズで3年半余り活動して、ある程度の実績も残していたし、インディーズのレコード会社に勤めていた時に、メジャーレコード会社の販売や宣伝面での、良い部分、悪い部分も分かっていたので、"僕らだったら、少しでもそのやり方を変えることができるのでは"と思い、メジャーレコード会社と契約することにしたんです」。
こうして、DefSTAR RECORDSと契約したBEAT CRUSADERSは、7月にミニアルバム『A PopCALYPSE NOW~地獄のPOP示録』を発売します。
「メジャー初のリリースは、映画『地獄の黙示録』と、POP音楽をかけ合わせてタイトルを付けました。
物事の消費されるスピードが年々早くなっていく今の時代、POP音楽の世界も、人気を集めている人達でさえも、2、3年経つと、あっという間にその立場が入れ替わってしまう。実は、"POP音楽は地獄から一番近い存在なのでは"、そう思ったんです。インディーズの世界も同じで、世の中に認知される速度が速くなって、セールスもあがり、ジャンルも活性化してはいるけど、メジャー音楽と同じように飽きられるのも早くなっている。純粋に音楽をやろうとしていた人達でも、会社の資本が入ってきた段階で、この"人気が落ちる"地獄に巻き込まれてしまうんです。
僕は、そんな構図を、インディーズレコード会社で働いていた時に、実際に見てきたので、インディーズで実績を積んできた僕らがメジャーデビューして、少しでもその構図を変える挑戦ができればという思いを、アルバムタイトルに込めたんです」。ヒダカトオルは、メジャーデビュー作への思いについて、こう振り返ります。
「それから、僕等は、自分達が聴いて育ってきたパンクやPOPな音楽、特に海外の作品と日本のインディーズ音楽それぞれのエッセンスを、J-POPという音楽ジャンルの中に潜り込ませていました。そうすることで、より多くの人達に、僕等の音楽に興味を持って欲しいと考えて、曲を作っていました」。
BEAT CRUSADERSは、邦楽、洋楽、ジャンルを問わず音楽ファンの心を掴むと同時に、ライブを始めとした公の場では、メンバー全員が、それぞれの似顔絵イラストのお面をつけて登場し、決して素顔を見せないという、謎めいた部分も話題を呼び、多くの人達に、その存在が知られるようになっていきます。
こうして、2004年10月、BEAT CRUSADERSは、テレビ東京系アニメ『BECK』の主題歌にも起用された、メジャー1stシングル「HIT IN THE USA」を発売します。
2004年10月、BEAT CRUSADERSはメジャー1stシングル「HIT IN THE USA」を発売します。さらに、翌2005年3月には、ヒダカが音楽総合プロデューサーを務めたアニメ『BECK』のサントラ盤を2枚同時に発売します。
「主人公の少年が、バンド活動の中で、失敗と挫折を繰り返しながらも、音楽への信念を原動力に一歩ずつ前進していく様を描いたアニメ『BECK』と、僕らBEAT CRUSADERSの音楽活動は、重なる部分もあって、このアニメを観た人達にも、BEAT CRUSADERSを浸透させていくことができました。おかげて、ロックファン以外にも、僕らの音楽を浸透させることができたんです」。
BEAT CRUSADERSの音楽の魅力を、アニメを通して浸透させることに成功した彼らは、5月にメジャー1stアルバム『P.O.A~POP ON ARRIVAL』を発売し、セールスチャート最高位3位、約18万枚のセールスを記録します。
さらに、アルバム発売後に全国28ヵ所でのライブツアー、そして8月には「ROCK IN JAPAN FES」「SUMMER SONIC」
など野外ロックフェスティバル4本に立て続けに出演して、BEAT CRUSADERSは、ライブバンドとしても高い評価を集めていきます。
「ライブツアーが終わって、野外ロックフェスティバルに出演する合間に、次のシングルの構想を練ったんです。そこで僕は、"アジアン・カンフー・ジェネレーションや、BUMP OF CHICKENと言った後輩バンドが演っている、ギターROCK感に、パンクロックの象徴のひとつ、2ビートに乗せて曲を作れないか"、そう考えたんです」。
「ところが、色々と模索しながら作った曲のレコーディング途中に、ドラマ―のマシータが、ライブツアーや夏フェスに出演し続けてきたことによる疲労と、レコーディングでドラムを激しく叩き過ぎたのが原因で、足を負傷してしまったんです。
それで、ほんの数日なんですが、バンド活動を休まなくちゃいけなくなったんですね。でも、その数日間休みを取ったことで、"自分達にとって本当に必要な事は何なんだろうか"という、忙し過ぎることで見えなくなっていた部分を、改めて考えることができて、バンドにとってはいい休養期間になったんです。そのせいか、曲自体、最終的には柔らかい雰囲気に仕上がりました」
こうして、BEAT CRUSADERSが作った曲「DAY AFTER DAY」は、2006年4月に、5枚目のシングルとして発売されます。
2006年4月に発売された、BEAT CRUSADES5枚目のシングル「DAY AFTER DAY」は、セールチャート最高位6位を記録します。
「結果的にBEAT CRUSADERSにとっては、メンバーのケガによる少しの休みがプラスに働きました。苦しみや悲しみと向き合って、それを素直に受け入れることで、新たな自分達を見つけることができたんです。それは、バンドにとって、大きな刺激を与えてくれたんです。
この曲は、ギターロックの疾走するような爽やかさと、パンクロックのスピード感、その両方を兼ね備えていて、ライブでも演奏すると、お客さん達も楽しそうだし、僕らも気持ち良いので、僕等のライブには欠かせない曲になっています」。
最後に、メンバーのヒダカトオルさんは、こう語ってくれました。
勢いのあるバンド活動の中で生まれた、アクシデントによる少しの休息が、J-POPの名曲を生み出した瞬間でした。
今日OAした曲目
M1.デイドリーム・ビリーバー/ザ・モンキーズ
M2.LOVE DISCHORD/BEAT CRUSADERS
M3.HIT IN THE USA/BEAT CRUSADERS
M4.DAY AFTER DAY/BEAT CRUSADERS