FRESTA Bimi Smile presents 食卓ON楽


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2010年8月13日
「鱗/秦基博」

150回目の今日お届けしたのは、「鱗/秦基博」でした。


1980年11月、宮崎県日南市に生まれた秦基博は、7歳の時に父親の仕事の都合で、神奈川県横浜市に引越します。1992年、秦は、兄が買ってきたギターを弾き始め、1996年4月、高校入学後には軽音楽部に入部し、ミスター・チルドレンやエレファント・カシマシなどのコピーバンドを始めます。やがて秦は、リサ・ローブやシェリル・クロウなどの洋楽も聴くようになると同時に、オリジナル曲も作りはじめます。
1999年春、秦は、大学入学直前の春休みに、友人の紹介で、横浜・中華街近くのライブハウス「F.A.D YOKOHAMA」で行われた弾き語りライブに出演、店長に、その音楽性を見込まれた秦は、その後も、月に1、2度定期的に出演するようになります。

2004年1月、秦は、「F.A.D YOKOHAMA」の店長の薦めで、インディーズアルバム『オレンジの背景の静物』を制作。その年の夏には、ひとりで、関東近郊のライブハウスを巡るツアーを行います。
"インディーズアルバムを作ったら、メジャーへの扉が開けるのでは"-そう考えていた秦でしたが、彼を取り巻く音楽環境は変わらず、秦は引き続き自身の音楽スタイルを模索する日々を過ごします。
 しかし、翌2005年の暮、ライブハウスで歌っていた秦をたまたま見かけた、音楽事務所・オフィス・オーガスタのスタッフが声を掛け、ついに、秦基博メジャーデビューへの扉が開きます。

「当時、事務所はスキマスイッチをデビューさせた後で、彼らに続くアーティストを探していたんです。普通、"デビューさせたい"と思ったアーティストを見つけた時、デモテープを作って、ライブで経験を積ませてと、メジャーデビューさせるまで約1年はかけるんですが、彼の場合は違っていたんです。"荒削りだけど、彼の場合は、完成されたアーティストとしてデビューさせるよりは、未完成のままデビューさせる方が面白いかもしれない"と考え、彼を見つけてから4ヵ月後の2006年3月には正式に契約を結び、7月には事務所主催の野外ロックイベント「Augusta Camp2006」のオープニングアクトとして出演させたんです」。現在、秦基博のマネージャーを務める堀越さんは、当時についてこう振り返ります。デビューを前にして、約1万人の大観衆の前に歌を歌い、注目を浴びる存在となった秦基博は、11月に1stシングル「シンクロ」を発売します。
2006年11月、秦基博は1stシングル「シンクロ」を発売します。シングル「シンクロ」は、いきなり全国43局ものFM局のパワープレイを獲得します。
「僕らスタッフは、秦のデビューにあたって、彼を、"シングルヒットを放つアーティストとして育てていくことよりも、秦が作った色んなスタイルの曲を、多くの人に聴いてもらって、コアなファンを掴みたい"と考えたんです。そこでまずは、彼がギター1本の弾き語りで歌った、「Augusta Camp」のライブ映像を収録したプロモーションビデオを、全国のラジオ局に配って、彼の音楽の良さを、多くの人達に知ってもらおうとしました。その計画は見事に成功し、広島FMをはじめとする、全国のFM局から支持を獲得し、デビュー曲「シンクロ」がラジオから大量にOAされるキッカケを作ることができたんです」
マネージャーの堀越さんは、当時を振り返ります。

翌2007年3月、秦基博は、次の作品としてミニアルバムをリリースします。
「それまでの秦は、デビューするまで、ずっとギター1本、独りで歌を歌ってきました。それが、秦の音楽スタイルの基本なので、その弾き語りを軸に作った色んなタイプの曲を聴いてもらうために、ミニアルバムを作ることにしたんです。しかも、秦自身のサウンドを、しっかり聴いてもらうために、彼自身にプロデュースしてもらいました。」

こうして、2007年3月、秦基博がセルフプロデュースしたミニアルバム『僕らをつなぐもの』は発売されます。

2007年3月に、秦基博はセルフプロデュース・ミニアルバム『僕らをつなぐもの』を発売します。
「『僕らをつなぐもの』リリース直後に、広島FM主催で行った『魁no.2』を含め、東京、大阪で初めてバンドスタイルでライブを行ったんです。他のメンバーを加えてバンドスタイルでライブを行ったのは、この時が初めてでした。
秦自身、他のミュージシャンと一緒に組む楽しさを覚え、それが自分にとって、音楽の幅を拡げるられることだと分かったんです。この経験が、その後の彼にとって大きな財産になりました」。
マネージャーの堀越さんは、当時をこう振り返ります。

その後、秦は、6月に発売を予定した次のシングルに、ある曲を選びます。
「この曲は、もともと、弾き語りのイメージが強く、いかにアレンジするのかがポイントだと思っていたので、アレンジを誰に頼むか考えて、秦本人、そしてスタッフの中で浮かんだ人物が、東京事変などのプロデュースを手掛けていた亀田誠治さんでした。それまで亀田さんとは、全く面識が無く、秦自身も、色んなアーティストのプロデュースを手掛け、多忙を極める亀田さんにアレンジをお願いすることに対して、遠慮と不安を感じていました。しかし、亀田さんにお願いすると、亀田さん自身も秦の音楽に興味を持っていてくれて、話はすんなりと決まったんです。
その後、デモテープを亀田さんに渡し、数日後に完成された曲が届いたんですが、その曲を聴いた瞬間、秦本人も含め、スタッフみんなが、その完成度の高さに驚いたんです。イントロ部分のピアノで曲に引き込まれ、ストリングスを加えたことで拡がったスケール感。曲がもともと持っていた力が、さらに拡がっていくのを感じたんです」。
マネージャーの堀越さんは、そのときの驚きをこう語ってくれました。

こうして、秦基博の2ndシングル「鱗」は、2007年6月に発売されるのでした。

2007年6月に発売された、秦基博の2ndシングル「鱗」。
「デビュー当時から、彼がライブで歌ってきたこの曲は、亀田さんのアレンジが加わったことで、今では曲のイントロが流れた瞬間に、ファンの顔色が変わっていくのがハッキリ分かるほど、彼のライブには欠かせない曲になったんです。亀田さんにアレンジを担当してもらって、曲のスケール感が拡がっていったことに秦自身も大満足し、それ以来、彼は他のアーティストと一緒になって曲を作っていくことにも、積極的にチャレンジするようになってくれました。この曲を通して、彼は色んな人達の力を借りて曲を作ることで、聴いてくれる人たちに、曲は、より伝わるものになるということを、実感することができたんです」。
最後に、マネージャーの堀越さんは、こう話してくれました。

1人の才能が、たくさんの手を経て、J-POPの名曲に生まれた変わった瞬間でした。


今日OAした曲目
M1.Tomorrow Never Knows/Mr.Children
M2.シンクロ/秦基博
M3.僕らをつなぐもの/秦基博
M4. 鱗/秦基博