
151回目の今日お届けしたのは、「上海ハ二ー/ORANGE RANGE」でした。
「僕が沖縄で経営していたインディーズ・レコードの専門店「スパイス・レコーズ」に、メンバーが1本のデモテープを持ってきたんです。そのテープは、スタジオで録音されたものではなく、恐らくメンバーの誰かの部屋で、マイクを立てて録音されたものだったんでしょうか、録音状態が最悪の仕上がりだったのを覚えています」。
メンバーとの出会いについて、オレンジレンジ所属事務所の崎原社長は、当時についてこう振り返ります。
1999年3月、中学校の卒業パーティで、ギターのNAOTOとドラマ―のKATCHANは、仲間達と結成したバンドでステージに立ち、それをキッカケに、二人は本格的にバンド活動をスタートさせます。
その後、二人は高校進学後も、メンバーチェンジを繰り返しながらバンド活動を続け、2001年3月に、同級生でベースのYOHと、ボーカルのHIROKIとYAMATO、さらにYOHの弟でラップ好きのRYOを加えた、6人組バンド「ORANGE RANGE」を結成します。ORANGE RANGEは、アメリカ軍基地内にあるライブハウスで演奏したり、ストリートライブを積み重ねながら、徐々にライブの本数を増やし、着実に動員を増やしていきます。
「彼らは、デモテープを持ってきた以降、度々お店に遊びに来るようになって、ある日、お店主催のライブイベントに出演してもらったんですが、彼らは、自分達の出番が終わった後も、最後まで残ってイベントの後片付けを手伝ってくれたんです。ほんとに素直で、いい子達で、僕は、少しずつ彼らとの付き合いを深めるようになったんです」」。
2002年2月、ORANGE RANGEは、崎原社長の薦めで、インディーズから沖縄限定ミニアルバム『オレンジボール』を発売します。
「彼らは、山嵐や、rage against the machineなど自分達が好きな音楽のコピーをレパートリーの中心にしていましたが、少しずつオリジナル曲も作るようになって、ライブで演奏するようになっていたんです。そこで僕は、"高校卒業記念にアルバムを作ろう"と彼らに声を掛け、CDを作ることにしたんです。当時、すでに、彼らが生み出すグルーブ感とセンス溢れるメロディ、そしてHIROKI、RYO、YAMATO3人のボーカルによる、軽快なラップのかけあいは、沖縄では話題になり始めていて、ライブも、常に200人程度は集まるようになっていたんです」。
「アルバム『オレンジボール』がリリースされ、さらに、ライブ動員が増え始めると、メジャーレコード会社が続々とデビューの話を持ってくるようになりました。ちょうど、「モンゴル800」や「HY」など、沖縄に在住しながら活動を行っていたバンドが、全国ヒットを生み、成功し始めた時期とも重なって、次の沖縄バンドとして、彼らにも目がつけられたんです」。音楽レーベルからの熱い視線が集まる中、ORANGE RANGEは、アルバムに続き、今度はシングル「ミチシルベ」をリリースします。
2002年8月、ORANGE RANGEは、インディーズからシングル「ミチシルベ」をリリースします。
「シングル「ミチシルベ」をリリースした直後、東京、大阪、名古屋のライブハウスを回るツアーをやったんです。沖縄でライブをやると、200人近く集めていた彼らも、この時の動員はまだまだ全然ダメで、東京では10人、名古屋ではたった2人の前でライブをやったんです。しかし、彼らは、特に気にする訳でもなく、自分達の大好きな音楽を演奏しながら、全国を回れることを楽しんでいました」。
その後、沖縄本土復帰30周年を記念した「オキナワミュージック・フェスティバル」など、沖縄で行われた様々なイベントにも出演し、沖縄では、若手を代表するバンドへと成長していったORANGE RANGEは、レコード会社各社の争奪戦の上、遂にソニー・ミュージック・レコーズとメジャー契約を結びます。
「ORANGE RANGEは、ソニーとメジャー契約を結んだ後も、仕事のベースは沖縄に置くことにしたんです。
それは、自分達がリスペクトしている沖縄在住のアーティスト「モンゴル800」を見習って、メンバーの家族や友人がいる沖縄を拠点に音楽活動することで、リラックスして音楽作りに取り組むことができる。開放感溢れる、ORANGE RANGEならではの音楽が作ることができると考えたからなんです。」
こうして、地元沖縄をベースに、音楽活動を続けていくことを決めたORANGE RANGEは2003年2月に、地元沖縄で、本人達主催の音楽イベント「テレビズナイト」を開催。彼らが持っている音楽志向さながらに、様々なジャンルのアーティストが集って行われたこのイベントには、約1000人近い人が集まり、ORANGE RANGEの沖縄での人気は、一気に沸騰していきます。
そして、その勢いのまま東京に乗り込んだORANGE RANGEは、2003年春、東京・原宿ラフォーレ前で、ゲリラライブを行うなどして話題を振りまき、音楽雑誌にも取り上げられるようになります。沖縄から、また個性的なグループが登場したことに、音楽ファンたちの期待が高まる中、メジャー1stシングル「キリキリマイ」は、6月、リリースされるのでした。
「この曲は、彼らがインディーズ時代に作っていた曲で、彼らのライブでは馴染み深い曲でした。まずは、この曲を聴いてもらって、沖縄以外の人達にORANGE RANGEがどんな音楽を演奏するバンドなのかを分かってもらうために、この曲を1stシングルにしたんです」。
シングル「キリキリマイ」は、セールスチャート最高位50位、約2万枚のセールス結果に終わりますが、彼らは、そのセールス結果に対しても、特に、悲観的になることなく、立て続けに、翌7月に2ndシングルを発売します。
「2ndシングルとして予定していた曲も、1stに続いてインディーズ時代に作っていた曲で、当時、SMAPなどを手掛けていたプロデューサーのシライシ紗トリさんが、アレンジを担当してくれました。シライシさんには、1stシングルからプロデュースをお願いしていたんですが、夏に向けて、みんなの気持ちが色んな面で盛り上がってくる時期に発売するシングルなので、聴く人に、いかにインパクトを与えるかを、メンバー、シライシさん、そして我々スタッフも考えていました。そして、もともとあった曲に、沖縄らしさを取り入れることを考え付いたんです」。
「それは、具体的には、沖縄民謡によく見られる、掛け声や拍子を、曲のリズムに合わせて入れることでした。レコーディング途中に、突然湧いたひらめきを取り入れたら、これが"ピタリ"とハマったんです」
こうして、2003年7月、ORANGE RANGEの2ndシングル「上海ハニー」は発売されます
2003年7月に発売された、ORANGE RANGEの2ndシングル「上海ハニー」は、ノンタイアップながら、セールスチャート最高位5位、約24万枚のセールスを記録します。
「2ndシングル「上海ハニー」は、発売直後に九州のFMラジオ局各局のパワープレイを獲得することが出来ました。
キャンペーンで初めて福岡に行った時に、溢れんばかりの人たちが、彼らを観にやって来たことに、メンバーみんなで驚いたことが印象に残っています。夏に向けて、気分が高揚する時期に、アッパーチューンなこの曲は、盛り上がるのにピッタリだったんですね。当然、ライブでもこの曲を演奏すると盛り上がりました。彼らにとっても、メジャーの世界で生きていくための大きな自信に繋がった曲ですね」。
最後に、崎原さんは、こう話してくれました。
沖縄出身の彼らならではアイディアを取り入れた歌が、J-POPの人気グループを生み出した瞬間でした。
今日OAした曲目
M1.山嵐/山嵐
M2.ミチシルベ/ORANGE RANGE
M3.キリキリマイ/ORANGE RANGE
M4.上海ハ二-/ORANGE RANGE