
149回目の今日お届けしたのは、「ずっとそばに.../Metis」でした。
1984年3月、広島市に生まれたMetisは、小さい頃から歌を歌うことが大好きで、近所のビデオ屋で貰ったビデオテープの中に入っていた、マイケル・ジャクソンの「スリラー」を観て、その踊りを真似ていたといいます。その後、小学校に入るとMetisは、洋楽のオムニバスCDを買ってきて、その中に収録されていた、ボビー・ブラウンやホイットニー・ヒューストンなど、R&Bやブラックミュージックに夢中になっていきます。そして、16歳の時、たまたま買った、ボブ・マーリーの追悼フェスティバルのビデオ『ONE LOVE THE BOB MARLEY ALL-STAR TRIBUTE』でレゲエ・ミュージックに出会った彼女は、その世界の虜になり、彼女自身も"レゲエシンガーとして、人にメッセージを伝えていきたい"と思うようになります。
2002年春、高校を卒業したMetisは、"歌手になる"という夢を実現するために、様々なオーディションにチャンンジしますが、簡単にその扉は開きません。しかし、「母さんにとったら世界一強い子じゃけん」という母親の言葉を励みに、オーディションにチャレンジし続けたMetisは、2005年、インディーズレーベル「JAMWAX」のオーディションに合格し、10月に1stミニアルバム『ANSWER』を、タワーレコード限定で発売します。アルバム『ANSWER』は、僅か400枚のリリースでしたが、パワフルな歌声とメッセージ性溢れる彼女の歌の評判は、口コミやインターネットを通じて広がり、彼女の名前は少しずつ、全国に浸透していきます。
2006年春、日本クラウンとメジャー契約を結んだMetisは、5月にインディーズ最後のミニアルバム『MUSIC』を発売。広島のことについて歌った曲「ANSWER」や、愛する全ての人たちが幸せになって欲しいと歌った曲「MUSIC」など、その歌の内容や、Metis自身の生き方に対して、少しずつ共感の輪が拡がっていきます。そんな中、Metisは満を持して、メジャー1stミニアルバム『WOMAN』を発売します。
「アルバム『WOMAN』発売直後の、10月から、Metisは約1ヵ月半で、全国40都道府県を回るインストアライブとキャンペーンを行ったんですが、おかげで、TV、ラジオ、雑誌など、さまざまなメディアが、彼女を取り上げてくれました。そして、キャンペーン直後の11月に、レゲエの本場ジャマイカで、レコーディングをすることになったんですが、初めてジャマイカを訪れたMetisは、ジャマイカの人達がレゲエ・ミュージックを糧に生活している姿を見て、彼女自身、彼女なりのやり方で、歌を通してメッセージを伝えていくことができればと、強く感じたそうです」。
当時のことについて、マネージャーの鈴木さんは、こう振り返ります。
そして、2007年1月、Metisがジャマイカでレコーディングした曲をカップリングに収めた、メジャー1stシングル
2007年1月、Metisは1stシングル「梅は咲いたか桜はまだかいな」を発売します。
「"梅は咲いたか桜はまだかいな"の歌詞が、受験生を後押しするような励ましの内容であったり、彼女自身が偶然にも菅原道真の末裔であったことなどもあって、2月に湯島天満宮で合格祈願ライブを行ったんですが、このことは新聞やテレビを通して、数多く取り上げられました。FMの各局でパワープレイにも選んでもらい、この曲で、Metisの知名度を一気に拡げることができました」。鈴木さんは、こう振り返ります。
さらに、2007年は"広島のシンガー"であることを大切に思うMetisにとって、節目の年となります。2007年5月、Metisはテレビ新広島の企画で、原爆ドーム前からの中継に生出演、さらに8月6日には全国ネットで放送された特別番組にも出演して、話題を集めます。
「Metis自身、家に帰ったら被爆体験を持つおばあちゃんが居て、小さい頃から、食卓で被爆体験について話を聞かされていたそうです。それで、彼女は、自分が歌手になる時に"平和や命の尊さについて、歌を通して訴えていく"と決めたんです。ただ、音楽活動を続ける中で彼女は、"もっと自分は原爆の事について知らないといけない"と感じて、改めて、語り部の沼田鈴子さんから直接話を聞いたり、被爆した建物を実際に歩き回るなどして、ひとつの曲を作ったんです。それが、アルバム『ONE LOVE』に収められた曲"アオギリの木の下で..."です」。
「アオギリの木下で・・・」が収められたアルバム『ONE LOVE』は、2007年8月15日にリリースされ、セールスチャート最高位20位、約6万5000枚の売上を記録します。また、10月には、初の全国ライブツアーも成功させ、Metisは一歩づつ、メジャーアーティストの階段を昇っていきます。翌2008年2月、Metisは、特別な想いを込めて、新曲をリリースします
「もともと、別の曲を歌う予定にしていたんですが、レコーディング直前になって、"もっとMetisらしい、聴く人にメッセージが伝わる歌を歌った方がいい"という事になり、彼女が改めて考えて、辿り着いたのが、自分の母親をテーマにした歌を作ることでした。彼女が、歌手になることを決め、上京した直後に病で倒れた彼女の母親は、その時点で余命を宣告され、彼女自身、それから、常に母親の事を考えながら歌い続けていたんです」。
こうして、Metisのストレートな母親への想いを歌詞に込めたシングル「母賛歌」は、リリースされるのでした。
2008年2月に、Metisが発売したシングル「母賛歌」。Metisが生まれた時から、ずっと支えてくれた母親が、天国へ逝ってしまう前に、母への感謝の気持ちを伝えようと書いたその歌は、その年の夏に全国各地で行われた音楽フェスやイベントでも歌われ、多くの人達に共感を呼んでいきます。そして、シングルリリースから半年以上が過ぎた頃、あるTV番組への出演依頼が舞い込みます。
「その番組は、10月から日本テレビ系で放送がスタートした『誰も知らない泣ける歌』でした。Metisは、テレビで"母賛歌"が取り上げられることに対し、初めは、"私はレゲエシンガーなのに大丈夫だろうか"という思いや、TVを観た人達から"やらせなんじゃないか"という、批判めいた意見が届くんじゃないかと心配していました。それで、Metisと僕等は、事前に彼女のブログで、"自分がなぜテレビ番組に出演し、この歌を歌うのか"説明したんです。実際11月に番組がOAされると、そんな心配は全く無く、むしろMetisのファンや、彼女と同じような境遇の人達から、たくさんの励ましのメッセージが寄せられ、それが、彼女にとって、大きな支えとなりました」。
しかし、番組が放送された直後の2008年12月、奇跡的に命を永らえていた彼女の母親は、ついに彼女を残して逝ってしまいます。
「彼女の下へは、"母賛歌"を通して彼女の事を知った多くのファンから、たくさんの励ましの声が寄せられました。母親を亡くした直後にはひどく落ち込んでいた彼女が、時間が経って、まず考えたことは、そんな、彼女に寄せられた励ましの声に応える、アンサーソングを作ることでした」。
「"自分自身を含め、それぞれ人にはみんな"大切な人""ずっとそばにいたい人"がいるはず。その人を、本当に大切にして欲しい"という願いを、彼女はこの歌に込めました。大切な人からの言葉、そして愛を大切にして、どんな困難にも立ち向かってほしい。そんな願いが、この歌には込められています」。
こうして、Metis5枚目のシングル「ずっとそばに...」は、2009年4月に発売されます。
2009年4月に発売された、Metisの5枚目のシングル「ずっとそばに...」。
「母親を失い、途方に暮れていた彼女を救った、ファンの人達、そして同じ境遇の人達からの励ましの声。彼女は、その声に応えるために、再び歌を歌い始めました。この歌を通して一番伝えたかったのは、励ましの声をかけてくれた人達への恩返しだったんです。
最後に、マネージャーの鈴木さんは、こう話してくれました。
数多くのファンの励ましに応えたいという思いが、J-POPの名曲を産み落とした瞬間でした。
今日OAした曲目
M1.ワン・ラブ/ボブ・マーリー
M2.梅は咲いたか桜はまだかいな/Metis
M3.母賛歌/Metis
M4.ずっとそばに.../Metis