
222回目の今日お届けしたのは、「FUNKEY MONKEY BABYS/それでも信じてる」でした。
「彼らは、ヒット曲を出して、自分達の車を持ったり、美味しいご飯を食べて肌の艶が良くなった部分はあるかもしれませんが、泥臭くてハングリーな音楽に対する一途な姿勢は、デビュー前から何も変わっていません。それが、彼らの良さでもあり、強みだと、僕やスタッフは思っています」。
デビュー前から、レコード会社でFUNKEY MONKEY BABYSの制作担当ディレクターを務めている若尾さんは、こう語ります。
2003年12月、東京都八王子市を中心に、ソロラッパーとして活動していたファンキー加藤は、クラブイベントを通じて知り合った、同じ八王子出身のMCモン吉、そしてモン吉の友人でDJのケミカルの3人で、HIP HOPグループ「FUNKEY MONKEY BABYS」を結成します。
2005年3月、FUNKEY MONKEY BABYSは、イベントで知り合った「ケツメイシ」のDJ KOHNOの勧めで、当時TFM系で放送されていた、ケツメイシのラジオ番組『ナイトレンジャー』のデモテープオーディションに応募し、準優勝に輝きます。それをキッカケに、FUNKEY MONKEY BABYSは、関東各地のクラブに出演するようになり、横浜のクラブ「LOGOS」に出演した際に、現在の所属事務所のスタッフと出会い、メジャーデビューが決まります。
「僕が彼らに初めて出会ったのは、2005年の春で、上司に、"面白いバンドがいる"と言われ紹介されたんです。当時は、ケツメイシ、RIP SLYMEと言った日本のHIP HOPミュージシャン達が、ポップスの要素を取り入れた曲を相次いでリリースして、お茶の間にも、HIP HOPと言う音楽ジャンルが少しずつ浸透し始めた時期でした。そう言った意味でも、FUNKEY MONKEY BABYSがデビューするタイミングは、恵まれていたと思います」。
こうして、2006年1月にFUNKEY MONKEY BABYSは、1stシングル「そのまんま東へ」をリリース。タレントの「そのまんま東」をCDジャケットに起用したシングルは、音楽ファンの間で話題を集めます。
その後もFUNKEY MONKEY BABYSは、HIP HOPやラップをベースに、特定の音楽ジャンルに縛られることのない、オリジナルサウンドで勝負。6月には、3枚目のシングル「ALWAYS」をリリースするのでした。
2006年6月、FUNKEY MONKEY BABYSは、3枚目のシングル「ALWAYS」をリリースした後も、7月には1stアルバム『FUNKEY MONKEY BABYS』をリリース。そして翌2007年1月にリリースした、4枚目のシングル「Lovin' Life」が、セールスチャート最高位10位に。さらに、5月にリリースした5枚目のシングル「ちっぽけな勇気」が、チャート最高位8位を記録します。
「この頃の彼らは、まるでジェットコースターのように、一年、二年先と言った未来の事よりも、明日、一週間先、長くても一ヵ月先までと言った、目先の事に対して、必死で取り組むことしか考えられない程、仕事に追われるようになっていたんです。でも、忙しさを極めていたけれど、彼らは、何でも真剣に取り組み、色んな事を提案し、挑戦してくれたんです」。
曲を聴いた誰もが喜び、楽しんでもらえるようにと考えたFUNKEY MONKEY BABYSの音楽は、世代を越えて多くの人達から支持を集めます。そして、2009年6月には、初の単独日本武道館ライブを実現させたファンモンは、その年のNHK紅白歌合戦に、11月にリリースした11枚目のシングル「ヒーロー」で、初出場を果たすのでした。
「彼らは、デビュー前からずっと、"身近な人のために笑顔や元気を与えることができる、応援歌を作りたい"という気持ちで曲を作り続けています。曲が売れて、どれだけお金持ちになったとしても、彼らをずっと応援し続けてくれている地元八王子の人達や、スタッフ、そしてファンに対する感謝の気持ち、さらに生活者の目線を忘れず、その思いを、歌詞に落とし込んでいるんです。このヒーローにも、そんな気持ちが、シンプルに盛り込まれています」。
2011年に入って直ぐ、テレビ朝日から、FUNKEY MONKEY BABYSへ、4月から始まるドラマの主題歌のオファーが届きます。
「ドラマのストーリーが、学園物だったので、最初は"青春"をテーマに、明るく、元気でアップテンポな曲を作っていたんです。
ところが、曲が完成する直前の3月11日、東日本大震災に彼らは遭遇します。3人は、ちょうど福島でのライブを終えた帰り道で、新幹線の中に11時間も閉じ込められた後、救出され、やっとの思いで東京に戻ってきたんです。数日後に、レコーディングは再開されるんですが、3人は"僕達ミュージシャンは、今回の地震で被災された方のために、何ができるんだろうか?""今、明るく、元気な曲を作っていいんだろうか?"という気持ちに苛まれまれてしまうんです」。
メンバーは、1年前からファンモンのプロデュースを担当していたYANAGIMMANに悩みを相談します。すると彼は、新たな曲のコードをレコーディングスタジオのピアノで弾きはじめます。
「YANAGIMANが、何気なしに弾いていたコードに、メンバーの加藤が"それです!"と声を上げたんです。そこから、一気に新しい曲作りが始まったんです」。
ファンモンらしい、明るく、聴く人誰もが思わず元気になっていくような力強いメロディで作っていた曲は、みんなの心が寄り添っていくような、優しい癒しの歌へと変化していきます。
「メロディを変えた事で、当然、歌詞も書き換える事になりました。もとの歌詞は、"頑張れ"と言って、強く背中を押すようなイメージのものでした。それが、何も言わずに肩を並べて、同じ空と大地をただ一緒に見る。それだけでも全然違うし、ぬくもりは、ちゃんと伝わるはず。そう言ったメッセージを持った歌詞に変える事にしたんです。そして、そう考えた時、メンバー自身が、震災直後は、見失いかけていた音楽の力を、"もう一度信じてみよう。何があっても、とにかく信じ、願っていこう"と思い直し、そういう気持ちを言葉に込めていったんです。さらに加えて、川村結花さんに、歌詞の補作をお願いしました。自分達の力だけに留まらず、専門家のアイディアを加える事で、より良い作品に仕上げていこうと、メンバー自信が強く思ったからなんです」。
こうして、2011年6月、テレビ朝日系ドラマ『アスコーマーチ』の主題歌として起用された、FUNKEY MONKEY BABYSの16枚目のシングルとなる、シングル「それでも信じてる」が、リリースされるのでした。
2011年6月にリリースされた、FUNKEY MONKEY BABYSの16枚目のシングル「それでも信じてる」。
「何があっても、希望を捨てず、祈り、願い、信じ続けることで、次への一歩が開けてくるという、ファンモンの思いが込められたこの曲は、東北の人達からはもちろんですが、東北地方以外の人達からも、たくさんの共感をいただきました。歌ができる事は少ないかもしれないけど、いつも自分たちを応援してくれる人達のために"何かをしたい"というファンモンの気持ちが、心の底から伝わったんでしょうね」。最後に、若尾さんは、こう振り返ってくれました。
メンバー自身が、震災に遭遇した事をキッカケに、信じる事の大切さを改めて強く感じた、
J-POPの名曲が生まれた瞬間でした。
今日OAした曲目
M1.そのまんま東へ/FUNKEY MONKEY BABYS
M2.ALWAYS/FUNKEY MONKEY BABYS
M3.ヒーロー/FUNKEY MONKEY BABYS
M4.それでも信じてる/FUNKEY MONKEY BABYS