
226回目の今日お届けしたのは、「広瀬香美/ゲレンデがとけるほど恋したい」でした。
「僕が彼女に初めて出会ったのは、1990年か1991年です。当時僕が所属していたセクションでは、フライング・キッズ、アン・ルイス、小泉今日子、嘉門達夫と、さまざまなアーティストを担当していたんですが、何か、新しい軸となる、アーティストを探していたんです。そんな時に、LA在住の日本人ギタリスト・平野T.J.ヨーイチさんから、彼女を紹介されたんです」。
デビュー前から、ビクターエンタテイメントで、広瀬香美の共同プロデューサーを務めている田村さんは、こう語ります。
1966年4月、福岡県太宰府市に生まれた広瀬香美は、地元の福岡女学院音楽科を卒業後、国立音楽大学作曲家へ進学。大学在学中にアメリカ・ロサンゼルスを旅行した際に観た、ボビー・ブラウンとベイビー・フェイスのライブをキッカケに、彼女はPOPSに夢中になっていきます。
1988年、広瀬香美は、国立音楽大学を卒業後、アメリカに音楽留学し、友人からマイケル・ジャクソンのボイス・トレーナー、セス・リッグスを紹介されて、ボーカルレッスンをスタート。その後、LAで知り合った日本人ギタリスト・平野T.J.ヨーイチを通じて、ビクターエンタテインメントの田村さんを紹介され、1991年からデモテープ作りを始めます。
「当時は、大黒摩季やZARDといった、TVにも出ない、ライブもやらない。ただ曲を作って、リリースするだけの、それまでのアーティストとは違った、新しい存在価値を持ったアーティストが続々とデビューし始めていた時期でした。そこで僕は、広瀬を彼女達と同じような存在に育ててみたいと考えたんです。そう言った意味では、彼女がデビューするタイミングは恵まれていたと思います。
ただ、広瀬は、バラードやスローテンポの曲作りは得意でしたが、アップテンポの曲作りが苦手だったんです。当時、音楽業界では、デビュー曲は、アップテンポの曲を選ぶのが常識だったので、僕は考え抜いた末に、彼女をシングルではなく、アルバムでデビューさせて、音楽ファンが彼女に対してどういった反応を示すのか、確かめることにしたんです」。
こうして、1992年7月、広瀬香美は、まずは1stアルバム『Bingo!』をリリース。半年後の12月に、1stシングル「愛があれば大丈夫」をリリースするのでした。
1992年12月、広瀬香美は、映画『病は気から 病院へ行こう2』の主題歌にも起用された、1stシングル「愛があれば大丈夫」をリリースします。
「広瀬は、1stアルバム『Bingo!』を作った頃、まだレコーディング経験や知識にも乏しく、ボーカリストとしても、実際のレコーディングの現場で、自分をどう表現すれば良いのか分かっていなかったんです。そこで僕は、1stアルバムでは、Hip-Hopを始め、多彩なジャンルの曲を、彼女に作って歌わせることにしたんです。とにかく、色々な曲を聴かせて、表現力を高めていったんです」。
田村さんは、広瀬香美に、メロディのコードや、テンポ感など曲作りについても具体的な指示を出して、彼女が苦手としていたアップテンポな曲作りに、一緒に取り組んでいきます。
1993年夏、広瀬香美の下へ、スポーツ用品専門店「アルペン」から、冬のキャンペーンソング提供の話が届きます。
「アルペンの担当者が、広瀬香美が、その年の3月にリリースした、2ndアルバム『GOOD LUCK!』を聴いて、彼女の音域の広い歌声と、ドラマティックで聞き心地の良いメロディを評価してくれ、オファーしてくれたんです。僕は、彼女に、CMソングだから、普段はあまり使わない、インパクトのある言葉を使ったほうがいいと、アドバイスしました」。田村さんは、当時をこう振り返ります。
広瀬香美は、彼女が、中学時代に、街中を歩いている時に浮かんだメロディを書き留めておいたメモを参考に、デモテープを制作。歌詞も、田村さんのアドバイスに従い、普段は使わない言葉を、わざとサビの部分に使って曲を作っていきます。
こうして、1993年12月、「アルペン」の冬のキャンペーンソングに起用された、広瀬香美の3rdシングル「ロマンスの神様」は、リリースされるのでした。
1993年12月にリリースされた、広瀬香美の3rdシングル「ロマンスの神様」は、セールスチャート最高位1位、約175万枚の売上を記録する大ヒット曲となります。
「"ロマンスの神様"という、普段は使わない言葉をサビに使った事に、当時、レコード会社内部には、数多くの反対意見があったんです。しかし、反対を押し切ってリリースし、結果的には大ヒットに繋がって、今までの常識に捉われてはいけない、という気持ちが、僕らに生まれてきたんです。サウンドやメロディの流行りは、時代によって変わるし、歌詞の傾向や言葉遣いもどんどん変わっていく。この曲で、広瀬香美のPOPSが完成したとは思わず、その後も、新しいサウンドをどんどん聴いて、取り入れられるものは、貪欲に取り入れていくことにしたんです」。
翌1994年、広瀬香美は再びアルペンの冬のキャンペーンソングに「幸せをつかみたい」を提供。さらにその翌年の1995年、広瀬香美の下に、3年連続となる、アルペンの冬のキャンペーンソング提供の話と、12月に公開予定の映画の主題歌提供の話が届きます。
「映画のスポンサーとなったのが、アルペンで、映画のタイトルを、そのまま曲のタイトルに使って、さらに、その曲を冬のキャンペーンソングに使う事が条件だったんです」田村さんは、当時を、こう振り返ります。
広瀬香美は、この曲のデモテープを、まずミディアムテンポで作った後、次にラフミックスの段階で、アップテンポに変えていきます。そして完成したメロディに、歌詞を書く段階で、田村さんは、歌詞にある仕掛けを作ります。
「僕は、映画の主題歌としてよりも、CMソングとして使われる事を優先的に考えたんです。15秒という限られた時間の中に、キャッチーな言葉を当てはめられれば、「ロマンスの神様」と同じように、曲を聴いた人達に強いインパクトを与える事ができるはず。広瀬も、僕の考えに共感してくれて、CMに使われる曲の部分に、"絶好調 真冬の恋"という、普段はあまり使わないフレーズを使ったんです」。
こうして、3年連続となるアルペンのCMソングで、映画「ゲレンデがとけるほど恋したい」の主題歌となった、広瀬香美の7枚目のシングル「ゲレンデがとけるほど恋したい」は、1995年12月にリリースされるのでした。
1995年12月にリリースされた、広瀬香美7枚目のシングル「ゲレンデがとけるほど恋したい」は、セールスチャート最高位6位、約39万枚の売上を記録します。
「CMソング1曲目に使われた「ロマンスの神様」から始まった、広瀬香美のPOPS路線も、この3作目の「ゲレンデがとけるほど恋したい」でひと区切りとなりました。それは、僕と彼女の中で、デビュー前の彼女の課題であった、"アップテンポな曲への苦手意識"がクリアされたと判断したからです。ですから、この曲は、シンガーソングライター広瀬香美の、第1段階の集大成とも言える曲です」最後に、田村さんは、こう振り返ってくれました。
CMソングという限られた条件の中でのソングライティングが、
アーティスト自信の課題もクリアさせた、J-POPの冬の定番ソングが生まれた瞬間でした。
今日OAした曲目
M1.Every Little Step/ボビー・ブラウン
M2.愛があれば大丈夫/広瀬香美
M3.ロマンスの神様/広瀬香美
M4.ゲレンデがとけるほど恋したい/広瀬香美